人は誰しも光り輝くものに憧れる。色とりどりの宝石や、イルミネーションなど、世の中には光り輝くものがあふれている。また、活躍している人物や、今を時めく人のことを「光り輝いている」と紹介することもある。私も切実に光り輝きたいと思う。
そこで、つららを光り輝かせてみようと思う。なにが「そこで」なのかは私にもよくわからいが、しばらくお付き合い願いたい。
つららとは
つららとは、冬の豪雪地帯などでよく見られる、建物の軒下や岩場などから棒状に伸びた氷のことである。光沢があり、自然が作り出す美しいの芸術作品である。
軒下だけではなく、水が滴るような場所でだったらどこにでもあり、滝などにも大きなつららができることがある。寒い北海道に行けば簡単に見つけることができるだろう。そう思い、私は北海道へ飛んだ。
つららがない
北海道に行けばどこにでもつららがあると思っていた。そっちの家にも、あっちの家にも、雪国の家には必ず装飾のようにあるのだと。しかしないのだ。町中を歩き回ってもなかなかない。つららができると窓を破るなどの危険があるらしいので、できないようにしているのかもしれない。
あっても明らかに私有地で入ることはできない。突然「つららを譲っていただけませんか」と訪ねてくる30代の女は恐怖でしかないだろう。あまりにもないので最後のほうは、もう自動車の下についてるつららでいいかと半ばあきらめかけていた。
つららがあった!
あきらめかけてホテルに帰る私の目に光るものが飛び込んできた。まぎれもなくつららだ。垂れ下がっているものではないが、コンビニの窓の下に確かにつららが立っていた。
光り輝くその姿はまさに名にふさわしく氷の柱のようだ。
近寄ってみると高さ20㎝、直径8㎝ほどある。立派なものだ。透明に光るその様はまるで水晶かダイヤのようだ。水って液体だけど宝石だったんだ、そんなポエミーな感情が自然と生まれるほど、感動的な美しさだ。コンビニの前だけど。
つららが光った!
このつららを光らせるために、東京からサイリウムを持ってきた。簡単に色とりどりに光らせることができるからだ。サイリウムをつららの後ろに置き、つららの輝きをパワーアップさせようと思う。羽を背負って輝きを増す宝塚スターやクジャクみたいな理論だ。
まずは緑のサイリウムでつららを光らせた。つららは見事に緑色に光輝いた。きれいなキュウリのようだ。つららのでこぼことサイリウムの薄い緑が美しい。このキュウリなら台湾のヒスイでできた白菜とともに博物館に飾られるかもしれない。
溶けるまで、はかない芸術作品だ。
次に赤いサイリウムで光らせてみた。赤いサイリウムのほうが緑よりも強い光な気がする。まるでマグマのようだ。赤い光に生命の力強さを感じる。つららだけでもサイリウムだけでも生み出されなかった神秘的な光だ。
最後に青いサイリウムで光らせてみた。静かに輝きはじめるつらら。つららと青のサイリウムに海の光を見た。どの色も美しいが、水の星、青い地球に生まれた者にとって、この美しさは故郷の色なのだ。しばらく眺めていたい美しさだが、指が一本ずつ落ちてないかなと心配になるほど寒い、というか痛い。
光らせて満足
つららを光らせると聞いてちょっと何を言っているのかわからないと思った方もいると思う。私も読者ならそう思うだろう。しかし輝かせてみてわかった。人は光り輝くものが好きだ。それはもう猫がネズミを追いかけるのと同じで本能のようなものなのだ。
冷静になると光らせるべきはつららだったかなとは思うけれども。今年こそ光り輝く人になりたい。