ゆめゆめ忘れる事勿れ 第9話

コラム

烏丸を追い詰めた九郎と小鷹だったが、深い傷を負った烏丸は暗闇の中に消え、小鷹は死んだ。どうしても小鷹を救いたい苦労は、自らの喉に刃を向けた。助けるために、今できる事、それは死ぬ事だった。再び九郎の世界は暗転し、大きく動き出す第9話。

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第三章おぼえておけ

九郎は青い世界に降り立った。
あの少女へとわき目も降らずに駆け寄ると、叫ぶ。

「さざき、お願いだ。もう一度俺を戻らせてくれないか。烏丸を殺して、小鷹も子供もみんな救いたいんだ」

勢いよく古民家の戸を叩く。
開く扉。
小鷹に鼻を打ち付けたりはしなかった。
白にそびえる仏舎利塔。
その下で轟音が響く。
九郎は容赦なくつぎつぎと焙烙玉を投げた。
今度は油断しない。
小鷹に背と腕の怪我がなかったら、きっと烏丸に勝てていたはずなのだ。
火薬が燃え、血と肉の雨を降らす。
小鷹は流れるように男たちを斬る。
噴き出した血がどす黒い輝きを纏って宙を舞う。
降り立つ烏丸。
投げた焙烙玉が、弾き返される。
九郎と小鷹に降り注ぐ爆風と破片。上がる煙の中から現れた白い腕。
小鷹の胸に突き刺さる刃。
左腕を吹き飛ばされた九郎は呆然とただ見ていることしかできなかった。

「つまんない」

烏丸のつぶやきと共に崩れる小鷹の身体。
また、小鷹が死んだ。
九郎は血まみれの手と口で鎧どおしを引き抜き、自らの喉を掻きさばいた。

「さざき、戻らせてくれ。今度はきっと上手くやってみせる」

勢いよく古民家の戸を叩く。
開く扉。
焙烙玉を投げる。
火をつける手際が格段に良くなった。
流れるように投げる。投げる。
上がる男たちの悲鳴。

「すごいな、随分焙烙玉を扱いなれている。扱ったことがあるのか?」

小鷹が感心したように頷いた。

「ちょっと前にね」

九郎は少しだけ唇をゆがめて笑った。
そこに飛ぶ一本の矢。

「九郎!」

九郎を突き飛ばした小鷹が矢で射られた。
倒れる小鷹。
砂糖に集まる蟻のように男たちが集まり、小鷹へと刀を振り下ろした。
血の臭いが濃くなった。
小鷹を膾切りにした男たちが近づいてくる。
九郎は震える手で鎧どおしを引き抜き、喉を掻き捌いた。

「さざき、頼むよ」

勢いよく戸を叩く。
九郎が投げる。
小鷹が斬る。
小鷹が焙烙玉で吹き飛ばされる。
九郎は鎧どおしを引き抜いた。

「さざき」

戸を叩く。
小鷹が殺された。
九郎も死んだ。

「……さざき……」

戸は、叩かなかった。
背負っていた子供は、民家のわきのあった物置の奥の方、古い味噌樽の隅に子供を寝かせてある。
ぴったりと閉まった戸を見つめながら、九郎はただ静かに涙を流した。

いったい、何回過去へ戻ったのだろうか。
百? 二百?
もう思い出せない。

子供はあんなにすぐ助けることができたのに。
思い出せないほど、小鷹を殺してしまった。

「ようやくわかった。俺が、俺がこの戸を叩いちまったから、お前は死ぬんだよなあ」

小鷹は馬鹿だ。誰かのために命を張れる大馬鹿だ。
そんな馬鹿、俺のせいで死なせるわけにはいかない。

「今度は、一人で行くわ」

じゃあな。
九郎は涙を乱暴に拭うと踵(きびす)を返そうとした。
がらがらと勝手に戸が開く。

「ああよく寝た」

のんきに欠伸をしながら中から大男が出てきた。

「ん? 誰だお前」

硬直していた九郎と小鷹の目があった。
九郎は踵を返すと脱兎のごとく逃げ出した。

「えっおい、待て!」

小鷹は反射的に後を追った。

鬼ごっこは小鷹の勝利で終わった。
というより、元々体力が尽きかけていた九郎が諦めたと言った方が正しい。

「ぜえ、は、なんでお前、逃げる」

「だ、だって、はあ、そんなおっかねえ顔で追われたら、はあ、逃げるだろ」

二人して地面に座り込んで息を切らしている。九郎に至っては濡れるのも気にせず湿った土の上に寝ころんでいた。
冷たい土と、その上を通る透き通った夜風が絶妙に気持ちがいい。

「そもそも最初にお前が逃げたからだ」

「いきなりあんたが出てきたからびっくりしただけだってば、もういいだろ、俺にはいくところがあんだよ」

九郎は息を整えて言った。内心とても焦っている。
このまま小鷹と関わるのはよくない、絶対に。

「そうか。それは悪かった」

「ああ、本当だよもう」

「正直何故追いかけてしまったのかわからん。お前の顔に見覚えがあった気がしたからなんだが……言い訳にすぎんな。すまなかった」

軽く頭を下げて小鷹は歩き去ろうとした。

「待った!」

九郎は慌てて小鷹を呼び止めた。今帰すのは、恐らく不味い。
烏丸と鉢合わせる可能性がある。

「なんだ?」

「帰るって、あの廃屋に?」

「んん? ああ、そうだ。今夜の俺の宿だ」

小鷹はけげんな顔で振り返った。

「だめだ、やめとけ、帰んな」

「何故だ?」

「何故って、ええと」

「よっぽどの事が無い限り戻りたいのだが。荷物が置いてある」

「駄目だっての! あー! もう、仕方ねえな!」

叫んだ拍子に、走り出して以来じわじわ溜まっていた涙がころりと落ちた。
九郎は最低限のことを話した。
血に飢えた恐ろしい男が近くをうろついていることを。

「ここまではさすがに来ないと思うけど、今戻ったら会っちまうかもしれない。もう少しすりゃ寝床に帰るだろうから、ちょっと待ってから戻ってくれ。あと、納屋んところにがきが一人寝てんだ。もし良かったら家の中に寝かせてやってくれないか」

話を聞き終えると、小鷹は顎に手を当ててしばらく考え込んだ。
虫の鳴く声が遠くから聞こえてくる。
翼の這えた大きな何かが木々を揺らす音がした。
焦れた九郎が口を開こうとしたとき小鷹は言った。

「子供のことはもちろんやぶさかではないし、忠告もありがたいのだがやはり今すぐ戻ろうと思う」

「はあ!?」

この馬鹿。九郎は頭を抱えたくなった。

「そんな男、野放しにしておくわけにはいかんだろう」

「駄目だ駄目だ駄目だ! お前じゃ勝てないんだよ」

「言ってくれるな。これでもなかなか腕はたつ方なのだが」

「そんなのは知ってる! でもお前より烏丸の方が強いんだ!」

叫んだ拍子に、止まっていた涙が再び滲んだ。

「まるで見たことがあるような口ぶりだな」

がしりと小鷹の腕が九郎の腕をつかんだ。

「お前は、何者だ? 烏丸とは誰だ?」

振りほどこうとしても小鷹の力には到底かなわない。

「知るか! 俺は仏舎利に行くんだ、離せっての!」

九郎は小鷹のすねを蹴りつけた。

「いだっ!」

九郎は緩んだ腕を振りほどくと仏舎利へ向かって一目散に駆けだした。

九郎は高台に立っていた。
仏舎利はあいも変わらず、全てを拒絶するように月の中に白くそびえていた。
その前には火を囲む野盗ども。
階段の上に一人座る烏丸。
全て何度も見てきたとおりだ。
しかし、今回は板が無い。
焙烙玉も無ければ、鎧どおしもない。
小鷹もいない。
あるのは途中で拾った鎌が一本。それに大きめの石が少しだけ。
とはいうものの作戦はあった。

要は烏丸を殺せばいい。

仏舎利塔は塔を挟んで四方に階段が伸びており、それぞれの階段を登った先は一続きの廊下のようになっている。
つまり今烏丸が座っている階段の真反対の階段を上れば、背後から強襲することができる。
下で騒いでる奴らに気づかれるまでが勝負だ。逃げるので鍛えたおれの足を信用するしかない。
荒すぎる作戦だが、何もない九郎にはそれしかないように思えた。
ぎりぎりと軋むほど奥歯を噛みしめる。
今度こそ、噛みついてでも殺してやる。
たとえ自分が死んでも構わない。あいつさえ、烏丸さえ、殺せれば。
鎌をきつく握りなおした。

九郎に助けてと言った子供。
なんどもなんども俺を助けて死んだ小鷹。
もう見たくない。見たくないのだ。
今度は、俺が助ける番だ。
そうだよな。爺ちゃん。
九郎が静かに移動しようとしたその時、背後の闇の中から手が伸びた。
口を塞がれ、藪の奥へと引きずり込まれる。

「むう、うぐ、むうう!」

「しっ! 静かにしろ! 暴れるんじゃない」

暴れる九郎を藪の中に引っ張っていったのは、小鷹だった。

「え? どうやってここに!」

「仏舎利へ行くとお前が言ったのだろう。行き方は子供に聞いた。お前の村に何があったかもな」

「あ」

九郎は自分の失言にのたうち回りたくなった。

「まさか一人で野盗の陣地に向かっているとは思わなかったが」

「なぜ……?」

「聞きたい事があるからだ」

小鷹は九郎を見下ろした。その視線は猛禽のように固く鋭い。
はぐらかすことを許さないと雄弁に語っていた。

「何故だ?」

小鷹の唇がゆっくりと動く。
しかし、九郎も全て話すわけにはいかない。話せば必ずこの男は手助けしてくれる。
そして、無残に死ぬのだ。
そんな姿はもううんざりだ。
九郎はなけなしの根性全てを目に集めてその視線を受け止めた。

「何故、泣いていたんだ?」

「え」

「お前、俺に忠告した時泣いていただろう。何故だ? なぜ泣くほど俺を案じる?」

予想外の質問に面食らう。

「お前は見知らぬ者にあんなに必死になるのか?」

「……そ、そうだ」

九郎は口ごもりながらも、まっすぐに言った。小鷹だからだ。とは言えなかった。
小鷹の瞳に火花のような光が一瞬散った。

「……お前は一人であいつらに挑む気か? その鎌で?」

「ああ。そのつもりだ」

「何のために?」

「村の復讐のために。これ以上犠牲者を出さないために。そして……友達のために」

小鷹は目線を和らげると、少しだけ笑いながら言った。

「手伝おう」

予想がついていた九郎は噛みつく様に答えた。

「いらない、帰れ、俺一人で何とかする」

「無理だろう」

「何とかするったら何とかする」

「お前が俺より強いとは到底思えないが……」

「うるさいうるさいうるさい! とにかく俺は一人で何とかできるんだ! お前なんざいらねえよ!」

九郎が喚いた瞬間、藪の外に何か重い物が落ちる音がした。
響く轟音。

「げ!」

「ばれたみたいだな。お前が叫ぶからだ」

涼しい顔で言う小鷹に九郎は自分が嵌められたことを知った。

「くそったれ!」

「まあ、なにはともあれこうなったらやるしかないだろう。お前の足元の袋にほ」

「焙烙玉だろ! 火種も貸してくれ」

「ほう。知ってるのか」

「一応な!」

「お前名前は」

「九郎!」

九郎は叫ぶと思いきり焙烙玉を振りかぶった。
こうなったら、とっとと片付けて烏丸が来る前にこの大馬鹿野郎を逃がすしかない。
九郎は覚悟を決めた。

*この小説はフィクションです。実在する地域の地名や伝承を使用していますが、登場する人物・団体・出来事などは架空の物であり、実在するものとは関係ありません。
*この小説は木曜日に更新されます。

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筆者:藤田侑希
イメージ写真:井口春海、矢野加奈子

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