美しい景色というものがある。たとえばそれは田園風景だったり、海辺の景色だったり、山頂からの景色だったりするだろう。そんな景色は今後もあり続けるのだろうか。
今更でもないが、近代化が進み、都会では原風景というか、美しいと思う景色は実は消えつつあるのだ。そこで今も美しい風景が残る場所に行って、「美しいな」としみじみしようと思う。
美しい風景とは
人によって美しいと思う風景は様々だ。水田のある風景を美しいと思う人もいれば、夕日の沈む海岸の風景を美しいと思う人もいるかもしれない。あるいは街中の看板や電線が入り組んだ景色を美しいと思う人がいてもいい。
美しい風景は懐かしい風景と言ってもいいかもしれない。「原風景」だ。原風景とは人の心の奥にある原初の風景。では現代を生きる渋谷の女子高生は田舎と新宿、どちらを美しいとか、懐かしいとかと感じるのだろうか。
田舎の風景がたくさんあった時代で育った我々にとっては、確かに田舎の風景は懐かしいし、美しい。しかし、東京で育った現代っ子は田舎の風景をどう思うのだろうか。そう思い、渋谷の女子高生に聞いたのだ。
何人かの女子高生に写真を見せて、どちらが美しいかと聞いた。全員が東京育ちでほとんどが祖母の家も都内近郊だった。つまり田園風景には縁がないのだ。しかし、全員が田園風景を美しいと言っていた。
やっぱりこっち(田園風景)が綺麗! と言っていた。新宿は? と聞くと、汚いし、怖いと言っていた。日本人のDNAが求める景色なのかもしれない。一票だけ新宿にシールが貼ってあるが、それは私が貼った。生まれ持ってのスターである私のDNAは歌舞伎町に惹かれるのかもしれない。
福島県の鮫川村
そんな誰もが美しいと思う風景を実際、見に行こうと車を走らせ、福島県・鮫川村を訪れた。この村は2003年に行われた「棚倉町、塙町、鮫川村の合併の賛否を問う住民投票」で反対票が7割を超え合併に反対。その後に、農業を基幹産業として復活させた村なのだ。
鮫川村に訪れて分かることは、全部が懐かしいという感じ。人の手が入っていない、という訳ではない。人の手が入っているからこそ、美しく懐かしい風景なのだ。懐かしさで言えば「ねるねるねるね」、美しさで言えば「夏目雅子」である。
先にも書いたようにこの村は合併の道を選ばず、農業を基幹産業として、自立した村作りを目指した。大豆を特産品にすえる「まめで達者な村づくり」を行っている。できる限り村内で循環できる産業をしているのだ。
外で何かを仕入れるのではなく、なるたけ村の中の資源で村が成り立つようにしている。人間で考えると自分の小便を飲んで乾きを満たすみたいなことだ。例えが汚いけれど、村で行えば、そこは美しい景色となるのだ。
美しい村での農大の取り組み
東京農業大学では、2000年より里山景観の保全のための活動として、農作業、公園作りなど村づくりなどをお手伝いしている。田んぼを作ったり、木がぼうぼうの山を整備したりしているのだ。ビルを立てたりしなくても、自然にも人の手を入れることが大切なのだ。
その一つに公園の整備がある。ここはもともと杉などがうっそうとした森だったけれど、公園として整備した。農大生も調査、計画、公園内のビオトープやベンチの作成などを実習で行っている。今ではいい散歩コースになっている。私も歩いたけれど、普段の運動不足がたたり、きつかったけど。
この村に農大の実習でやってきて、村の美しさに惚れて、今は村役場でで働く人もいる。「平田太良」さんだ。やっぱり鮫川村はいいそうだ。自然豊かなこの村で大体のことは事足りる。「イオンとか欲しくない?」 と聞くと、「いらない!」と即答された。
今も村役場で土木関係を担当する傍らで、休みの日には農大生の受け入れなどのお手伝いをしている。村でイキイキとしている男性はカッコよく見える。村が主催する街コン的なものあるらしい。結婚も村でいける。こうなると全部村で事足りるのだ。
人は基本的に美しいものが好きだ。海外にしろ、人にしろ、美しいと惹かれるものがある。村も同じだ。美しいとテンションが上がるのだ。上記の私を見てほしい。東京では32%みたいな元気だけど、村では132%の元気なのだ。
すべて事足りる
村の中で循環することで多くのことが村の中で事足りることになる。そのような村で実習できるのはやりがいがあるのだろう。平田さんが役場に就職したように、村を好きになるのだ。ちなみにしつこく何度も「イオン欲しくない?」と聞いたけれど、「いらない!」という回答だった。村を好きになるとそうなるのだ。