ガイドブックというものがある。その地域の美味しいものや美しい風景、観光地などを紹介している本だ。本屋に行けば、ずらりと並び、多くは新たな情報が載ったものが毎年出版される。
そこで古いガイドブックを片手に、今を歩いたらどうだろうか。古いガイドブックに載っているお店や景色などが、今も残っていたらそれは間違いなく、美味しいお店だし、美しい景色だ。ということで、昭和59年のガイドブックを持って、北九州市を歩いてみたいと思う。
昔のガイドブックの魅力
古本屋で3冊のガイドブックを手に入れた。北九州市の観光情報が載ったガイドブックだ。一番古いものが昭和59年で、一番新しいもので平成元年。ざっくり30年ほど昔のガイドブックということになる。30年前、四半世紀以上昔だ。
昭和59年と言えば、アップルがMacintoshを発表して、テレサテンの「つぐない」がヒットし、日本の平均寿命が男女とも世界一になった年だ。平成元年にしても、ロシアはまだなくソ連だった。ずいぶんと昔だ。
このガイドブックに載っているお店が今もあれば、絶対に美味しいはずだ。観光地も残っているならば、それは必ず見るべき場所だ。実は最新のガイドブックよりいいのではないだろうか。最新のガイドブックより、昔のガイドブックなのだ。
陣屋で天ぷら
まずはお腹を満たそうと、昭和59年出版の「博多そして九州路」を開いた。二代続く天ぷら専門店「陣屋」に行くことにした。値段も安く(当時の値段だけど)、食べても食べても重さを感じないらしい。素晴らしい、ぜひ食べたい。
このガイドブックには地図がないので、住所を頼りに歩く。小倉北区魚町にあるようだ。この辺りは小倉駅からずっとアーケードが続いている。日本で最初のアーケード街が小倉なのだ。歩いているだけで歴史が降り注ぐのだ。
住所のあたりに行っても、「陣屋」が見つからなかった。雲行きが怪しい。そこで近くにあった呉服屋さんで話を聞くと「陣屋」の場所が明確にわかった。北九州の人は優しい。教えてくれるのだ。優しさと微笑みの国なのだ。
陣屋は居酒屋になっていた。和食あり、洋食ありの居酒屋になっていた。私の陣屋はどこに行ったのだろう。当時の外観の写真がないのが惜しい。おそらく今のお店でも天ぷらはあるだろうけど、陣屋ではないのだ。
明確な時期はわからないのだけれど、結構前に陣屋はなくなり、今のお店になったようだ。約30年というのは、そのようなことが起きる時間なのだ。だって、当時生まれた赤ん坊は30を超えて無職になる時間だ。ちなみにその赤ん坊とは私のことです。
小倉城の今昔
食事は一旦諦め、平成元年に出版されたガイドブックに載っている観光地「小倉城」に行くことにした。ここが今もあるのは知っている。小倉で生まれ育ったので、母によく連れて行ってもらっていたのだ。
小倉城は今も変わらず鎮座していた。1837年天守閣が、1866年の長州戦争で小倉城が焼失したため、天守閣などは昭和34年に再建したものだ。祖母に話を聞くと、昔はなかったと言っていた。人によって「昔」はいろいろな時間を指す。
小倉駅の近くにはリバーウォーク北九州という大型複合商業施設もできていた。2003年にできたものだ。小倉城は変わらないけれど、周りは変わった。ちなみに小倉城の入場料は当時150円、今は350円になっている。
小倉城に入れば「迎え虎」がその名の通り迎えてくれる。どの角度から見ても目が合う虎である。他にも飛脚と足の速さを勝負したり、籠に乗ることができたり、景色を眺めることができたりなど、なかなかの施設だ。そりゃ、なくならないわ。
はま秀で寿司
小倉城を見学したので、食事に戻ろうと思う。昭和59年のガイドブックにある玄界灘の獲りたての魚を味わえる「はま秀」に行くことにした。地図はないのだけれど、住所はわかる。京町にあるそうだ。平成元年のガイドブックに地図があるので、それを頼りに京町を目指す。
地図を見ると、モノレールがJR小倉駅まで伸びていないこと、モノレールの小倉駅の前を西鉄北九州線という路面電車が走っていたことがわかる。今、モノレールはJR小倉駅まで伸びているし、西鉄北九州線はない。
モノレールは1998年に小倉駅まで伸び、これまでのモノレールの「小倉駅」を「平和通駅」と改称した。そして、西鉄北九州線は1994年に廃線となっている。バンバン変わっているのだ。ドバイの発展くらい北九州も変わっているのではないだろうか。
玄界灘の魚で作られた寿司を食べたい。玄界灘という名前にロマンを感じる。そのために選んだ「はま秀」である。京町の住所付近を歩いたけれど、それらしいものはなく聞き込みも行った。その結果、「はま秀」の場所が判明した。
なくなっていた。大きな建物になっている。コレットになっている。ロフトやヴィレッジヴァンガードなども入っている百貨店だ。これがある場所に「はま秀」はあったのだ。
コレットはもともと「そごう」で、これが1993年に開業している。その後、いろいろあって、2004年からコレットとなった。どちらにしろ、この建物ができた時点で「はま秀」はないのだ。北九州もどんどんと変わっている。
門司の名物「味の更科」
食事系はすべて空振りに終わっている。そろそろ食事にありつきたい、ということで、思い切って「門司港」に行くことにした。九州の玄関口で、山口と北九州の間には関門海峡があり、そのうえに関門橋が渡されている。レトロ地区などもあり観光にはいい場所だ。
関門橋を見に行くと、当時と変わらない景色だった。美しい景色だ。5年7カ月の時間と300億円をかけて、昭和48年に完成した。いま私が「知っていました」みたいに書いたけれど、ガイドブックに書いてあった。ちなみに目指すは「味の更科」である。
一杯250円のかけそばを両手でかかえるように息を吹きつつ、麺をすする。そして、1皿240円のいなりをぱくつく。こうした気取りのない食べ方が真の食べ物の味を知ることがある、とガイドブックには書かれている。腹ペコなのでこういうのを食べたいのだ、上品なやつではなく。
今も味の更科はあるのだ。提灯の有無など違いはあるけれど、味の更科と書いてあるので間違いない。ガイドブックによると営業している時間帯なのだが、店内に灯りはなくどうも営業しているように見えない。思い切って、お店の方に声をかけた。
出てきたのは4代目のご主人だった。ガイドブックでは営業時間が9時30分から21時30分だったけれど、現在は店内での飲食は11時45分から14時まで。60年も続いているお店だそうだ。当時とはこの辺りの活気も変わり、今のような営業時間になったそうだ。
私が行った時はすでに14時を過ぎていたので食堂での営業は終了していたが、店先でカツ丼などのお弁当販売はしていたので、それを買った。カツ丼は今も昔も人気のメニューだそうだ。確かに食べると美味しかった。初めて食べたのに懐かしく感じる。30年前に触れられた気がした。
最後は「耕治」
おやつ的にカツ丼に出会えたけれど、本格的には食事ができていない。そこで最後はがっつりの中華料理にすることにした。北九州で中華? と思うかもしれないけれど、北九州は食のレベルが高いのだ。何を食べても美味しいのだ、今もあればだけど。
小倉駅周辺に戻ってきたので、「耕治」というお店を選んだ。紹介文を読んでいるとべた褒めなのだ。芸術の才能がある、味蕾の才がある等、とにかくべた褒め。それを読んでいると食べたくなったのだ。
ガイドブック片手に夜の小倉のアーケード街を歩く。平和だ。そして、賑わっている。小倉はかなり賑やかな街だ。ガイドブック当時を知る人(私の父)に話を聞くと、お店は変わったりしているけど、賑やかさなどは変わっていないと言っていた。
耕治があった。しかも、ほぼ違いがないではないか。間違い探しのようにも感じる。それくらい同じなのだ。営業も間違いなくしている。食べようではないか、芸術の才能を、味蕾の才を。
ガイドブックに載っているメニューに今はないものもあるけれど、ガイドブックで第一にオススメしていた「シュウマイ」はあった。もちろん頼んだ。円熟味のあるシュウマイと書いてある。円熟味とはどんな味なのだろう。
輝いている。シュウマイが輝いている。眩しく感じる。ゆっくりと口に入れる。美味しい。本当に美味しい。濃いのだ。味が濃いのだ。そして、ねっとりと絡みつくような味わい。これが円熟味なのか。納得だ。
美味しすぎて、もっと早くに食べていたかったと思った。なぜ親は私をここに連れてこなかったのだろう。後で聞いたら「子供には高い」と言っていた。950円なので、確かに子供には高いかもしれないけれど、大人には最高の味だ。
高級な美味しさなのだ。これを食べることで自分のランクが上がった気がする。そのような美味しさだった。やはり昔のガイドブックはすごい。間違いなのだ。最高のお店に導いてくれる。北九州は基本的になんでも美味しいんだけどね。
ガイドブックで北九州
ガイドブックって最新のものでないとダメ、と思うかもしれないけれど、実はそうでもないのだ。いや、ないお店が多くて、なかなか食事にありつけなかったりはするけれど、残っていればそのお店は間違いない。それに、北九州は本当に何を食べても美味しいので、なんならガイドブックなしでもいいかもしれない。だって、美味しいだもん、北九州!
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