ついに九郎と小鷹は、烏丸が拠点としている『きんきらの仏様』がある仏舎利塔へ攻め込む事に。圧倒的強さを誇る烏丸一味を壊滅させる事は出来るのか。いよいよ第三章へ突入。
第三章 おぼえておけ
『きんきらの仏様』
小菅村の金風呂地区、そこから登ることのできる大寺山の頂上にその仏舎利塔はあった。
奥多摩仏舎利塔。
仏舎利塔とは釈迦の遺骨や経典、仏像を納める仏教建築物の一つである。
別名帝都仏舎利塔というその白く塗られた大きな仏舎利塔は、日蓮系の新興宗教である日本山妙法寺のものであり、珍しいことにインド系の様式でもって作られている。
丸く美しい本殿の屋根と、その上に乗る五本の石柱と四角の板で構成された頂上部。
四方それぞれに納められた四つの黄金の仏像。
その前に伸びる巨大な四つの階段。
山道を登った先、大寺山の頂上では、木々が切り開かれただけの広場にそれらが突如として現れるのだ。
仏舎利塔の左側は、その土地を作り上げたときに盛り上げた土が高台を成している。
その奥には杉やヒノキが生い茂っているが、少し進めば急激な斜面と化すため山に慣れたものか獣しか通ることはない。
今、その高台にある藪の中に小鷹と九郎は身をひそめながら、仏舎利塔の立つ広場を見下ろしていた。
二人から見て斜め左を向いて階段が伸びている。
その上を九郎が指さした。
「奴だ。烏丸」
「階段に座ってる男だな」
その男は階段の一番上に片膝をついて座り、つまらなさそうに広場を見下ろしていた。
意識しているためか不思議と月明かりの中で淡く光っているように見える。
男の見下ろす広場では男たちが火を囲みながら、酒を飲み騒いでいる。
「烏丸含め、一五人といったところか。さて、腹は括ったか?」
二人とも小鷹が持っていた物で出来る限りの武装をしている。
小鷹は大小の刀を差し、鼠色の着物と赤銅色の手甲をつけている。刀は血で滑らぬよう鮫革を巻いていた。
九郎は袋をいくつか腰につけ、小鷹から借りた鉄紺色の手甲をつけている。
腕に対して手甲が大きすぎるため紐で無理やりに縛っていた。
「爺ちゃん、力を貸してくれ」
九郎は懐の中に手を伸ばし、小鷹から借りた火縄筒を撫でた。
爺様の手のように、仄かに暖かかった。
穴の開いた平たい円柱と筒からなる火縄筒には、既に点火済みの巻き火縄が仕込まれている。文字通り九郎の頼みの綱だ。
「……やるしかないんだろ」
「そのとおりだ。やるしかない」
小鷹は傍の杉の木に縄を結び付けた。
「作戦は話した通りだ。ぬかるなよ」
小鷹はその縄の先を持つと、滑るように坂を下りて行った。
弾けた火の粉がまた一つ、澄んだ夜空へと吸い込まれていった。
「今回の村は傑作だったな、どいつもこいつも弱え癖に俺たちに向かってきやがる」
「鎌で向かってきた奴いたぜ。川の水腹いっぱい飲ませてやったら、白目むいて喜んでたがな」
汚れた男たちが瓢箪の酒をあおりながら笑う。
「これ見ろよ」
男の一人が何かを投げた。
雑に放り投げられたそれは、しわくちゃの手首だった。
何かを握りしめている。
焚火に照らされて、星屑のようにきらめく血にまみれた簪だった。
「金か? 畜生、どこで拾った」
「でけえ屋敷のジジイが持ってたぜ、あの糞ジジイ何しても離さねえから、手首ごとってわけだ」
「ああ、あの小菅なんちゃらって侍の屋敷か。俺もそっち行きゃあ良かったぜ」
「若い女もいたみてえだしな」
「女は烏丸が殺したがるから楽しんでる暇がねえけどな」
「歯向かって烏丸に殺されるよかましだ。山おりりゃ夜鷹くらい鳴いてんだろ」
騒ぐ男たちの輪へと影が一つ静かに近づいていく。
小鷹だ。散歩でもするかのように無造作に歩いている。
騒ぎ声が途切れ、一瞬で張り詰めた空気が輪の中に満ちた。
「なんだてめえ」
「なにもんだあ?」
殺気立つ男たちの顔が火を照り返してぬらぬらと光っている。
小鷹は全く気にした様子も見せず、まっすぐに階段を目指して歩いていく。
あと階段まで数間というところで、唇に傷が走る男が立ちはだかった。
体格のいい小鷹よりも一回りは大きい。まるで仁王像のようだ。
「仲間に入りてえなら相応のブツ持ってきてるんだろうな」
「ブツ?」
小鷹が初めて男に気が付いたように見上げた。
動じない様子に男がいら立ったように言う。
「金か酒か女だ、糞みてえなもんだったらぶっ殺すぞ」
「……貴様らにくれてやれるもの、なあ」
小鷹は愉快さをにじませた声で呟くと、極々平凡に歩き出した。
あまりにも自然な動きだったため、男は避ける間もなく小鷹にぶつかった。
「どうやら、これしかなさそうだ」
「あ、が?」
呆然と男が自身の腹を見る。
男の腹には小刀が深々と突き刺さっていた。
小鷹はさらに右回しに捻じりこんで飛びのいた。
切っ先は小腸と大腸を斬り裂き、胃に到達した。
血を撒いて男が崩れ落ちる。
「野郎!」
「殺せ!」
小鷹は軽やかに身をひるがえしてもと来た方へと走り始めた。
背後から男たちの怒号と足音が続く。
小鷹は最短距離で九郎の居る方向へと逃げていった。
「よし!」
小鷹は斜面に垂れていた縄を掴むと、引き寄せながら、滑る赤土をものともせず一息に高台の上まで駆け上った。
先ほどまでいた藪の中へ縄を放り込むと自らも飛び込む。
「引きずり出して、なます切りにしてやる」
「袋の鼠だ」
ようやく斜面の麓までたどり着いた男たちが、高台へあがろうと赤土に手をつく。
ころり、その手元へ黒い塊が転げて落ちてきた。
「なんだ、こ……」
反射的に拾おうと手を伸ばしたとき、それは炸裂した。
轟音が響き渡る。
指や鼻が吹き飛び、陶器の破片や仕込まれていた鉄片が男たちの目や腹に食い込んで肉を引き裂いた。
血を撒いて男たちがのたうち回る。
「なんだ!」
「爆発しやがった!」
後からきた男たちが喚き声をあげた。
藪の中から彼らを覗き見ながら、焙烙玉を放った九郎は喘ぐように息をついた。
敵と戦っている実感がわかない。
だが、辺りに立ち込める火薬と血の臭いが九郎が人間を傷つけた事実を残酷に示していた。
「よくやった。だが、本番はここからだ」
小鷹が慰めるように九郎の肩を叩いた。
「あ、ああ。わかってる」
二人は藪の中にあらかじめ潜ませた板の陰にいた。
あの古民家の戸で作った簡易な盾だが、しゃがんでしまえば全く外から見えない。
自然の高台、背後の急斜面、戸の城壁、それが小鷹と九郎の城塞であった。
その城壁から下を覗けば男たちが四人、斜面を登り始める所だった。
月の冷めた光に照らされて、斜面にへばりついて上がってくる姿はまるで巨大な蛭だ。
小鷹が腰の刀に手を当てた。
「行くぞ」
九郎は顎に伝わる汗を拭って、再び焙烙玉を腰の袋から取り出し点火の構えに入る。
「おらあ! 出てこい! 鼠ども!」
とうとう高台の上に男たちが上がってきた。
九郎が火のついた焙烙玉を次々と放った。
「きかねえよ!」
だが、炸裂する前に男たちの剣先がそれらを弾いた。
明後日の方向で爆発が起こる。
「焙烙なんざ当たらなきゃ意味がねえ」
髭面の男が吐き捨てた。その右手にぶら下がる刀には、ぞっとするほど血と黄ばんだ脂肪が纏わりついている。
男たちがじわじわと九郎たちの潜む藪へと近づいてきた。
皆、鼠を弄ぶ猫のように凶悪な笑みを浮かべていた。
「正面からいくら投げたって無駄だ」
再び焙烙玉が男たちの前に落ちて炸裂する。
閑静な夜の森に、上がる煙と響く炸裂音。音に驚いた、何かの鳥が逃げていく。
「効かねえって言ってんだよ!」
後ろに飛びすさった男があざ笑った。
「これならばどうだ」
小鷹が煙の中から飛び出した。
既に刀を抜き放っている。
駆け抜けながら一人を袈裟に切って落とし、返す刀でもう一人の刃先を跳ね除けた。
男がよろめいたところを峰に手を当てて下腹に押し込む。
絶叫が上がった。
血を吹いて倒れる男の髪をひっつかむと、斜面の方へと放り投げた。
斜面を転がり落ちていく男を見送ることなく、残り二人と対峙する。
男たちはあっという間に仲間たちがやられたのを見て明らかに怯えていた。
かろうじて刀を構えているが、腰が引けている。
戦働きの経験がある者は血を見るとかえって奮い立ったりするものだが、弱者のみを狙う腹の座っていない夜盗は反撃されると脆い。
小鷹は刀を振って血を飛ばし、たまらないと言いたげに笑った。
「鼠はお前たちだ」
ぺろりと分厚い舌が唇を舐めた。
「鷹の、獲物だ。そうだな?」
悲鳴のような声を上げながら、刀を頭上に振りかざし男が向かってくる。
大上段から振り下ろされる寸前、横に跳ねた小鷹はがら空きの胴を薙いだ。
臭いはらわたが土の上に次々と落ちる。
同時に、言葉にならない声を上げて逃げ出した男の背に向かって九郎が焙烙玉を投げる。
背をずたずたにされた男は物も言えずに斜面を転がり落ちていった。
「殺した……」
九郎は焙烙玉を投げた自らの手を見た。
「本当に、おれが」
震えるそれを見なかったことにして、粘ついた唾を無理やり飲み下す。
何かが藪の上に落ちて、がさりと音を立てた。
「そこから出ろ!」
「え、おわ」
小鷹に襟首を掴まれ藪から引きずり出された。
そのまま地べたに押し付けられる。
凄まじい爆発音が響いた。
「ほ、焙烙玉か?」
「お前のより強力な、な」
思わず後ろを振り返ると先ほどまで居たところの藪が抉れてぶすぶすと燻っていた。
板も半ばから吹き飛ばされてなくなっている。
「あ、ありがとう、本当に間一髪だったんだな……」
「それよりもだ」
小鷹が這いずって坂下を覗くと、火縄か何かだろう微かに赤く光る点を持つ男が二人と弓を構えた男、刀を持つ男二人の五人が見えた。
「まずい、弓もいる」
また重い塊の落ちる音が二人の後方から聞こえた。
今度は二つ。
ばあんぱあんと響く炸裂音。
あまりの大音量に耳鳴りがする。
煙と巻き上げられた土で、視界が黒茶色に霞んでいく。
九郎はその場に這いつくばったまま身動きも出来ずに叫んだ。
「とにかく逃げないと!」
「坂はだめだ! 降りる時に射られるぞ!」
小鷹も叫び返す。
「とにかく森の中へ!」
九郎が叫んだ瞬間、うつぶせる二人の背後で焙烙玉が炸裂した。
「九郎、頭を守れ!」
新たな煙がもうもうと上がり、土と陶器の破片が雨あられと二人へ降り注ぐ。
「ぐ、う」
「うわあっ」
反響していた爆音が止んだ。
「おい、大丈夫か」
小鷹が、顔をしかめながら片膝をついた。
その背中には無数の破片が食いこみ、小さな血の川がいくつも流れ落ちている。
それを無理やり払い落し、あるいは引き抜きながら九郎に声をかけた。
「大丈夫じゃない」
背中のそこかしこでじんじんと痛みが九郎を襲っている。
小鷹に負けないほど九郎も破片を喰らっていた。
「骨も内臓もやられてないならば無事とみなす」
「大丈夫じゃない……」
「無事だな。中身が無いのと火薬が強すぎたのが幸いだった」
敵の焙烙玉は小鷹の物よりも火力が強い。
そのおかげで焙烙玉の破片が小さく砕かれ、爆発にさえ巻き込まれなければ九郎の物より殺傷力が小さくなっていた。その上、鉄片も仕込まれていない。
おかげで数は多いが全て浅い切り傷だ。
小鷹は、九郎の襟を掴んで力づくで引きずり起こすと藪の方へと引きずっていった。
「いたた! 優しく! 優しく!」
「これでも優しい方だ。見た目ほど痛くはないはずだろう」
「そうだけど、おれはお前みたいにでかくて丈夫じゃないんだ」
「でかがろうが丈夫だろうが俺だって痛いものは痛い。ほら、そんなことより、とっとと破片払って動けるようになれ。煙が晴れぬうちに事を起こさねば」
「くそ、息もつけないのかよ、あいたた」
九郎は歯を噛みしめながら背中の破片を抜いた。背中が針鼠のようになっていて考えるだに恐ろしい。血でぬめる感触に気が遠くなりそうだ。
「永久に眠りたくないならな」
「はあ、わかったよ。で、次はどうするんだ?」
「やることは変わらぬさ。さ、行くぞ」
*この小説はフィクションです。実在する地域の地名や伝承を使用していますが、登場する人物・団体・出来事などは架空の物であり、実在するものとは関係ありません。
*この小説は木曜日に更新されます。
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筆者:藤田侑希
イメージ写真:井口春海、矢野加奈子