きんきらの仏様、烏丸がそう呼ぶ仏舎利塔に向かい、敵陣に乗り込んだ九郎と小鷹。九郎も焙烙玉を駆使して男たちをなぎ倒していく。相手の反撃にもめげず善戦する二人。いよいよ烏丸との死闘が迫る第8話
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第三章 おぼえておけ
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巻き上げられた土と煙が落ち着いて、辺り一帯が晴れていく。
「奴ら、今ので死んだんじゃねえか」
刀を持つ男のうちの一人が坂を見上げながら言った。
「かもな。もう一発ぐらい投げとくか」
火縄を弄びながら長い髪の男が答えた。
「その必要はなあい!」
九郎の声がした。
見上げると、九郎が坂上に立っていた。
「俺は生きてるぞ!」
九郎は叫ぶと、坂を斜めに駆け下り始めた。
「射て!」
すぐさまその姿を矢が幾本も追い、背に突き立った。
しかし、つんのめりながらも速度を落とさず九郎は走り続ける。
「きかねえよ」
九郎は先ほど爆発で半分になった板を、縄でぐるぐると背に巻き付けていた。
次から次へと飛んでくる矢を背で受け止めながら、仏舎利めがけて走っていく。
鍛えた逃げ足がこんな所で役に立つとは思わなかった。
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九郎の前方に何か重いものが落ちた。すぐさま後ろに飛びのく。
直撃は避けたが、爆風に吹き飛ばされ土の上を二、三度跳ねる。
「手間をかけさせやがって」
焙烙玉を投げた男が、九郎の髪を掴んで引き起こすと容赦なく拳を降らせた。
「命乞いしてみろ」
九郎の顔を何度も殴る。
「ほら、早く言ってみろよ」
もう一発。
「……お前に、命乞いする暇は、ない」
ひゅうひゅうとか細い笛のような声で九郎は言った。
「ああ?」
酒臭い息を吐きかけながら、男が九郎に耳を寄せた。
「そいつはな。お前には命乞いする時間などない、と言っている」
背後から響いた声に振り向こうとする間もなく、小鷹の剣は男の顎の下まで切り下げていた。
「すまん。無事か」
九郎は切れた口の血を吐くと、右足首の痛みに呻いた。
「悪い、足首くじいたみたいだ。他の奴らは?」
「他の四人は始末した。お前が引きつけてくれたおかげで楽だったぞ」
刀を軽く振って血しぶきを飛ばしながら小鷹が言った。
「え、もう? ちょっと早すぎやしませんか」
「雑魚にかける時間はないだろう?」
「……小鷹が味方で本当によかったわ」
「それはなによりだ。そんなことよりも見ろ」
小鷹が随分と近くなった仏舎利を見上げた。
月の光にしんしんと照らされた、乾いた犬の頭蓋骨のような塔。
階段の上には誰もいなかった。
周りを見渡してもいない。小刀が腹に刺さった男が倒れているきりだ。
風も、木々も、獣も虫も身動きすらしない、真に完璧な静けさが辺り一面を支配している。
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「烏丸がいない!」
「烏丸だけではない」
確か、男たちの数は一五人。
倒した奴は一二。
残りの奴らはどこへ行ったのか。
「静かすぎる。いつでも投げられるようにしとけ」
「わ、わかった」
九郎は小鷹の手を借りて立つと、取り出した焙烙玉と火縄を握りしめた。
小鷹が刀を青眼に構える。
秋の夜の冷たさが、火照った肌に染みてくる。
二人の呼吸音以外何も聞こえない。それにも拘らず、ゆっくり首を絞められているように吸い込む空気が重たい。
何かが潜んで良そうな木々の暗がり。
叫びだしたくなるような焦燥感。
肌を冷たくなでる不安感。
「烏丸、どこだ」
九郎は耐えきれなくなって呟いた。
ちりん、澄んだ小さな金属音が鳴った。
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「よ、んだ?」
九郎は真っ赤な舌先に鼻をべろんと舐められた。
「ひいっ!」
「ふひ、ひ、驚いた。もいっこびっくり、あげる。嬉しい?」
尻餅をついた九郎をおかしそうに見下ろしながら、烏丸が両手にぶら下げた丸い何かを放った。
重い音と何かが潰れるような音がして二つの丸いものが転がる。
月の明かりに照らしだされたそれは、誰かも知らぬ男たちの首だった。
「ね?」
にこ、と烏丸が笑った。
鳥肌が立つほど美しい微笑みだった。
小鷹は背中に汗が伝うのを感じた。
「お前は何者だ? こいつらは仲間じゃないのか? なぜこんなことを」
烏丸は笑みを納めるとゆるく小首を傾げた。
「オレ、は烏丸だよ。なかまってなに? ともだちのこと? 違う、よ。こいつらは勝手についてくるだけ。お兄さんがこいつらと戦うの、たのしそうだったから、オレもやった。村はつまんなかった、から」
「よくも……」
立ち上がり駆けだそうとする九郎の肩を小鷹が抑えた。
「烏丸、お前はなぜこんなことをするのだ?」
「オレはご飯、が食べたい。だから弱い奴からもらうんだ、オレは、強いから。それで、女は男よりもっと弱い。可哀そう、だから楽にしてあげる、の」
「楽にする、だって?」
九郎は思わず聞きかえした。
「死ぬのは、楽になる、って言ってた、あの人。だから、する。した。してあげた。オレが」
汗が九郎の顎を伝って滴り落ちた。
「な、にを言ってるんだ」
「だからね」
暗闇の中、ふわりと白いものが九郎の目の端に映った。
「え」
気づけば刃が目の前に迫っていた。
肩に焼けつくような感触。
襟首を思い切りひかれ、九郎は後ろに吹っ飛んだ。
転がった九郎の前に飛び出した小鷹と烏丸が相対する。
「九郎、すぐに片づける。それまで生きていろ」
「おれは大丈夫……だ」
とはいうものの九郎は肩を斬り裂かれていた。
冗談みたいに沢山の血が流れていくのが分かる。とにかく肩が熱く、痛い。
ひねった足首にもずきずきと痛みが走っていた。
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冷え冷えとした風が血の臭いのする空気をかき混ぜ始めた。
木々がざわざわとまるで戦いに興奮したかのように揺れた。
「ん、ふふ。兄さんってば、強い、ねえ。オレ、烏丸って言うの。よろしく、ね」
形のいい唇が嬉しそうな吐息を漏らしながら、妙にたどたどしく名乗った。
「お兄さん怪我、した。 これならオレの方が絶対強い、ね?」
小鷹の右腕に赤黒い染みが広がっている。
「もう黙れ……!」
小鷹は吐き捨てると刀を下段に構えた。
烏丸が激しく切りたてるのを、小鷹がうち払っては返す刀で、首を狙おうと踏み込む。
その拍子に微かに小鷹の刀が烏丸の頬を抉ったが、気にすることなく烏丸は逆袈裟に切り上げた。
小鷹と違い、烏丸の剣には技術がない。
刀を呼吸が続く限り一切の躊躇いなく稲妻のように降り続ける。
自分の負傷も意に介さないその剣は、単純だが実践では恐るべき威力を発揮していた。
まだ獣の方が理性ある戦いをする。小鷹はぎりぎりで刀を避けながら思った。
金属の激しく打ち合う音が、更けた夜に響く。
小鷹が、下から巻き上げるようにして烏丸の刀を弾き飛ばした。
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「あ」
烏丸が腹に刀の突き立った死体につまずいた。
「せえい!」
小鷹は踏み込み、大上段に振り上げた刀を渾身の力で振り下ろした。
小鷹と烏丸の身体が交差し、月の光の中に血の雫が舞い散る。。
「ひぎあああ!」
烏丸の、魂消るような声が木々の間に木霊した。
「う、ああ、い、顔、いた、あああ、あ、痛いい」
小鷹の剣は、烏丸の右目と鼻を潰し、左頬を斬り裂いていた。
烏丸はそれでも震える手で刀を振り上げたが、取り落とす。
「あ、ああ。いたい」
諦めた烏丸は木々の方へとよろめきながら近づいていった。
九郎は肩の痛みも忘れて叫んだ。
「待て、烏丸!」
追いかけようとするも、足に走る鈍い痛みと燃えるような熱で立ち上がれなかった。
動く方の手で土を掴み、なめくじのように枯葉の上に血の後を残しながら這う。
しかし、爪が小石をひっかき、血が滲んでも到底追いつけない。
だんだんと小さくなっていく烏丸に手を伸ばす。
もう少しなのに、もう少しで殺せたのに。
「烏丸! この、畜生があ!」
九郎の前進も虚しく、烏丸は闇の中へと消えていった。
小鷹も血の中に倒れていた。
その胸には小刀が深く突き立っている。
あのとき、烏丸は体勢を崩した瞬間、足元の死体から小刀を抜きとり小鷹に刺していたのだ。
恐ろしい反射神経であった。
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「おい! 小鷹、しっかりしろ!」
這いずりながら戻ってきた九郎は、小鷹を抱え起こした。
「く、ろ……」
小鷹は口から泡混じりの血を吐くと、遠くを見たまま動かなくなった。
九郎の腕にずしりと体重がかかる。
「小鷹? なあ、目開けてるだろ、返事しろってば」
返事はない。
勢いよく胸に広がっていく血が、少しずつ冷えていく体温が、とうてい現実とは思えなかった。だが、気持ちとは裏腹に視界が滲んでいく。
「おい、起きてくれよ、頼むから……」
静寂の中に落ちた濡れた呟きを、月よりほかに聞くものはいなかった。
九郎は仏舎利に背中を預けて座り込んでいた。肩からは今だに血が流れ続けている。
そんな九郎を黄金の仏が微笑みを浮かべながら見下ろしていた。
小鷹は死んだ。
烏丸は深手を負ったままどこかへ逃げた。
九郎もまた、ここでゆっくりと死んでいくのだろう。
段々と周囲がかすみ始めてきた。
だが、九郎の目には火が灯っている。
蝋燭の火のように小さく揺らいでいるが、確かに燃えている。
「まだ終わっちゃいない……」
このままゆっくり死ぬのなんざまっぴらごめんだ。
もう、どうすればいいのかわかっていた。
九郎は胸元に手を伸ばし、鎧どおしを取り出した。
震える手で引き抜き、冷たい刃を喉に押し当てる。
倒れた男の何も宿さない瞳を一瞥し、唇をきつく噛んだ。
「必ず、助けてやる」
そのためにできる事。
今はただ、死ぬだけだ。
鋭い熱さと痛みが喉を駆け、九郎の世界は暗転した。
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*この小説はフィクションです。実在する地域の地名や伝承を使用していますが、登場する人物・団体・出来事などは架空の物であり、実在するものとは関係ありません。
*この小説は木曜日に更新されます。
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筆者:藤田侑希
イメージ写真:井口春海、矢野加奈子