流しそうめん。それはそのままでも食べられるそうめんを水の流れる半円形の筒に流し、それを箸でキャッチして食べるという狂気にでも触れたかのような行為である。
では何故、人はそうめんを流すのだろうか。そうめんを流した先に何があるのだろうか。きっとそこには、流しそうめんを経験した者だけが知る事の出来る何かがあるのだろう。
例えば、そう、ロマンとか。
夏休みのはじまり
そもそも、なんで大学生になってまで流しそうめんのロマンを追い求めなければならないのか。
夏休みのはじめ、宿題が無いという事で浮かれていた僕は、原宿の若者のような勢いで源流大学の事務所へと向かった。
ここで僕は源流大学のスタッフである杉野さん(大人)に、宿題の無い夏休みがいかにすばらしいかを熱弁した。
どうやら、宿題が無い事をスネ夫ばりに杉野さん(いい大人)に自慢していたところ、夏休みも忙しい社会人の逆鱗に触れてしまったらしい。しかし触れてしまったものはしょうがない。
ゆとり教育が生み出した悲しきモンスターこと僕は指示が無ければ動かないが、指示があれば動かずにはいられないのだ。
自由工作を考える
自由工作の宿題がある小学生が必ず超えなければならない壁が、何を作るか、である。統計を取ってもらっても構わない。僕も小学生の時は悩むに悩んで、毎日「つくってあそぼ」を視聴したものである。
しかし、わくわくさんとゴロリが引退した今、小学生と僕が頼れる存在は少ない。そんな八方ふさがりの僕の、YouTubeをみるためだけの機会と化したスマートフォンが突然なった。
はからずしも自由工作のテーマから僕の方に舞い込んできた。きっと日頃の行いが良かったのだろう。バイト先のトイレットペーパーをひそかに三角折にしていたのを神様は見ていたのだ。やることが決まれば話は早い。早速流しそうめんの準備に取りかかろう。
流しそうめん始めました
というわけで、やってきました小菅村。今回は小菅村源流大学白沢校舎で行おうと思う。
しかし、朝から小菅の湯でのんびりしすぎた僕は流しそうめんの準備に遅刻してしまった。
白沢校舎に着いた僕の目に入ってきたのは、すでに組み上がった流しそうめんの台だった。
なんでも前回使ったものがあったので洗うだけだったそうだ。
ピンチだ。このままでは僕の宿題は振り出しに戻ってしまう。考えろ。わくわくさんはもういないんだ。このチャンスを逃してはならない。この時の頭の回転はきっとトリプルアクセルよりも速かったに違いない。
既に台があるのならば、台を増やせばいいのではないか。まさに天才。アインシュタインもびっくりだ。
流しそうめん強化しました
しかし、もともとあった流しそうめん用の竹を使うのと、いちから竹を加工するのでは訳が違う。
いちからカレーうどんを作るのと、余ったカレーをカレーうどんにリメイクする位違う。
早速台の増築に取りかかろう。まずは手頃な竹を準備。
それをちょうど良い長さに切ったらハンマーで節を打ち抜く。
内側が汚かった場合はたわしなどで良く洗う。
意外と簡単だった。簡単すぎたためか、この仕事を頼んでいた友人には物足りなかったらしい。
後は追加で準備した竹をセットするだけなのだが、これが難しい。コーナーで水やそうめんがクラッシュしないように調整しなければならない。結局、クマモン先輩にも手伝ってもらってようやく完成した。
流しそうめんを堪能する
流しそうめんの台を作っただけ満足してはいけない。実際にそうめんを食さない事には誰も納得しない。大事な事を言っておくが、流しそうめんにおいて一番偉い者は食べる人でも、ましてや台を作った人でもない。そうめんを上流から流す人だ。この係の人の機嫌を損ねたらそうめんは何時までたっても流れてこない。扱いには十分に気をつけよう。
気をつけるのはそれくらいで、後はいたって平和そのものだった。
しかし、何だこれは。ロマンどころの話ではない。楽しい。楽しすぎる。そうめんを流すだけでこうも楽しくなるのか。全国の子供達よ、妖怪ウォッチをやっている場合じゃない。流しそうめんだ。流しそうめんをやるんだ。
自由工作総括
宿題とは提出するまでが宿題である。小学校の時の僕の担任の言葉だ。
「やったけど持って来てませーん」は通用しない。
しかし「流しそうめん、やったけど持って来てませーん」はどうだろうか。
大学生の力を持ってすれば提出することも可能だが、そんな事をすれば杉野さん(大人)が怒るのはノストラダムスでなくても予想がつく。
そこで僕は今回の写真を見せる事でこの宿題を提出することにした。
「なにこれ?」
「流しそうめんの写真です」
「なんで?」
「宿題の自由工作です」
「あー、どうだった?」
「えー、楽しかったです」
「そう」
この人絶対忘れてただろ。