元旦というものがある。本日です。あけましておめでとうございます。2023年もよろしくお願いいたします。お仕事ください、たくさん。彼女欲しいです、だれか。とにかく2023年もどうか、どうか、本当にどうか、よろしくお願いいたします。
そんな一年の目標を書初めしたいと思う。一年の計は元旦にありなのだ。2023年の目標を書初めすることで、素晴らしい一年となる。寝正月ではダメなのだ。元旦から書初めをしないと。しかも、めでたそうな場所で。
一富士
2022年もいろいろなことがあった。いいニュースもあれば、悪いニュースもあった。2023年もいろいろなことがあるだろう。世界は荒波なのだ。そんな荒波を超えていくためにも、一年の計は元旦にありなのではないだろうか。
2022年もお世話になりました。2023年もよろしくお願いいたします、どうも地主恵亮でございます。2023年を素晴らしい一年にしたいと思っております。そのためには何をするべきなのか、を考えるのが元旦ではないだろうか。
2023年を素敵な一年にするために何をするのか、具体的なことを考えなければならない。その結果が「書初め」ということになる。一年の目標を書初めにより記すことで、一年が引き締まるのだ。あれを始めよう、これをやめよう、ではない。書初めさえしていればいいのだ。
書初めはどこでしても問題ない。自宅でもいいし、どこかの施設などでもいい。私はせっかく元旦に一年の目標を書初めするので、めでたい場所で書初めをすることにした。めでたいとは何か、と考えると富士山なのではないだろうか。
二俺
富士山が見える場所にやってきた。日本を代表する山だ。日本一高いのだ。よく縁起がいい初夢は「一富士二鷹三茄子」と言う。その一番目に来ている富士山が見える場所で書初めをするのだ。これ以上の場所はないのではないだろうか。
如何せん寒い。とても寒い。だって冬なんだもん。標高も高いんだもん。寒いに決まっているのだ。さらに私は「法被」を着ているのだ。めでたい感じがするから法被を着ている。その結果、寒いのだ。おそろしく寒いのだ。
ここに来る途中で山の中を走っていると川が凍っていた。流れがあるはずの川が凍っているのだ。どんだけ寒いのかと驚いた。車外にでればどんだけ寒いのかはダイレクトに感じることができた。だって私は法被なんだもん。肌が露出しているんだもの。ダイレクトだ。
今回、一富士は用意できた。ただ「二鷹」は準備できなかった。その代わりが「二俺」なのだ。そうなると法被にならないわけにはいかない。なんで? と聞かれても説明はできないけれど、そういうことなのだ。めでたい感じはすると思う、法被は。
三わたし
寒いとは言っていられない。書初めをしなければならない。一年の計は元旦にありなのだ。2023年の目標を記さなければならない。どのような一年にするのか、2023年がこの書初めで決まると言っても問題ないだろう。そのような決意で書初めをするのだ。
目を閉じて2023年をどのような一年にするか考えた。平和であって欲しい、世界に笑顔が溢れて欲しい、誰の涙も流れないで欲しい、そのようなことを考えた。筆を持つ手は重かった。とても責任のある書初めに感じたのだ。
寒さは感じなかった。富士山に吹き付け、湖を走った風が私を追い越していった。その風に2023年の目標を乗せ、世界に飛んでいけばいいと思った。私の書初めはそのような重みがあるものなのだ。そして、書き終わった。
2023年の目標は「トゥルーラヴ」だ。ラブではないのだ、ラヴなのだ。それはどういうことなの? と聞かれれば、各々で考えて欲しいということになる。私に説明を求められても困る。とりあえず「トゥルーラヴ」であり、「ラブ」ではなく「ラヴ」なのだ。
この写真に全ての縁起がいいが存在する。第一に富士山があり、第二に法被を来た俺がいて、第三に「トゥルーラヴ」を掲げたわたしがいる。「一富士二俺三わたし」なのだ。それが2023年なのだ。それはどういうことなの? と聞かれれば、各々で考えて欲しいということになる。
2023年はトゥルーラヴということなのだ。それが2023年の目標。書初めでそう書いたのだから、2023年はトゥルーラヴなのだ。Nothing more, Nothing less。いまなんとなく英語でそれ以上でもそれ以下でもないと書いたけれど、あっているか知りません。とりあえずトゥルーラヴとだけ覚えておいて欲しい。
今年もよろしくお願いします
一年の計は元旦にあり、ということで2023年の目標を書初めした。「トゥルーラヴ」。悪くはないと思う。だってトゥルーラヴなのだから。ということで、みなさん、私にお仕事ください。あとトゥルーラヴも持っているぞい! 2023年もよろしくお願いいたします。