どうしても小鷹を救えないと悟った九郎は、もう一度過去に戻ることを決意しさざきに乞う。
強い決意とともに、さらに過去に遡り己を鍛錬するために。その決意の火はやがて大きな炎となろうとしていた。
ついに物語の核心に迫る第四章がスタート。
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第四章 忘れるものか
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足元はどろどろと赤黒いのに、頭上にはどこまでも澄み渡った青い空が広がっている。
眩しい。眩暈がしそうだ。
刃こぼれした刀を振るって血を落としながら、どこか場違いな思考で小鷹は思った。
今日は戦だ。
勝ち戦だったが、撤退するときに奇襲された。
殿を務めていた小鷹はいつのまにか味方ともはぐれ、今はただ一人、相手方の雑兵たちに取り囲まれていた。
向けられた槍の穂先のように男たちの目は光っている。
今はまだ返り討ちにできる体力があるが、いずれ力尽きて首を取られるだろう。
だがそれで構わなかった。
前回の戦。
一揆門徒たちの殺害。
あの子供が忘れられない。
斬られたのに笑う子供。
長い兵糧攻めで、餓鬼のように飢えて痩せこけた体。
そして、なによりもあの白く濁った瞳!
なぜだ? いや、分かっている。
腸のはみ出た老人が安堵を滲ませながら言った。
「これで極楽へ行ける」
『死ねば極楽、退けば地獄』坊主どもの甘言に乗せられて彼らは死んだのだ。
「間違っている。だろう。他人の言いなりになって死ぬのは」
己の意思を持たぬなど。
最初から死んでいるのと変わらないではないか。
だが己も父に、上の者に言われるがまま戦い、あの子を殺した。
「俺も、同じだ……」
突きかかる槍を払いのけ、腹を貫く。しかしまだ敵は十以上はいるであろう。
いくら倒しても減っているようには見えなかった。
既に体中はじんじんとした痛みに覆われている。
深くはないがあちこちについた切り傷から血が流れるたびに、視界が霞んでいくようだ。
また一人、今度は刀を持った男が斬りかかってくる。
父上たちは無事に帰陣できただろうか。
目前に迫る刃を前に、小鷹が目を閉じた。
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「しっかり、しろ!」
怒鳴り声。続いてあがる断末魔の絶叫。
目を開けると誰かの背中が見える。
目前まで迫っていた刀が折れて飛んでいくのが視界の端に映った。
雑兵の刀をへし折った男は、握った刀を相手の腹に押し込むと、地面すれすれまでかがみこんで槍を避けた。
そして前へと跳び、槍持つ相手の顔に膝蹴りを叩き込む。
着地するときには、その勢いを利用して後方の一人を袈裟切りに切り伏せていた。
男の動きは無駄がなく、そして速い。
ひょろりとしているようにも見えるが、相当鍛えこんでいるのだろう。
「諦めてんじゃねえ!」
男が叫ぶ。
その声に押されるように振り向くと、背後から槍が伸びてきていた。
すんでのところで躱すと、刀を捨てその槍を雑兵の手から引きぬく。
槍の石突でその腹を思いきりついてから、右にいた雑兵の頭を殴りぬいた。
昏倒する雑兵を無視して、別の雑兵の刀を槍の柄で叩き落とし、相手を刺し貫きながら謎の男を見やる。
己の家中の者ではない。
見覚えのない男は右の男を逆袈裟に切り上げると、半回転しながら後ろから来る男を切り伏せた。
あっというまに八人を失った男たちが後ずさった。
「何者だ!」
口々に取り囲む者たちが叫ぶ。
謎の男がにやっと口角を上げた。
「ただの通りすがり。かかって来いよ」
通りすがり? 怪しすぎる。
そう思いながらも、気が付けば小鷹の足が動き謎の男と背中が合わせる。
先ほどまで死んでもいいかと思っていたくせに、小鷹の体はまだまだ生きたがっているようだった。
「死なせねえ」
謎の男がぽつりとつぶやいた。
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十人ほどの男たちが円陣を作りながら、こちらの隙を伺うようにこちらを見ている。
だがすでにその目には先ほどのぎらつきは無い。
ごくりと一番手前の雑兵の喉が生唾を飲み込むのが分かった。
乾いた陽光を白刃にきらめかせて、二人の男は雑兵たちに襲いかかった。
「ぎゃっ!」
脳天を唐竹割りにされた男が血をまきながら崩れ落ちる。
今ので最後の雑兵だった。今、立っているのは小鷹と謎の男だけだ。
素性を聞かねばなるまい。
小鷹は刀の脇で挟んで強引に血を拭い取っている男に歩み寄った。
「おっ、やっぱり無事だったか」
男が小鷹を見てへらりと笑った。
そのどことなく気の抜けたような面は、たった今剣の冴えを見せた男には見えない。
よく見れば自分よりも同じか、少し年かさくらいか。あまりに擦り切れた旅装束は浪人だろうか。
何はともあれ小鷹は礼を言った。
「俺は川上源次郎小鷹という。武士だ。助太刀感謝する」
「九郎だ」
「ただの九郎か」
「小菅村の九郎。今は浪人だけどな」
うそぶく男の顔が一瞬だけ歪んだ気がする。すぐに飄々とした表情に吸い込まれてしまったが。
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「なぜ俺を助けた?」
「あー……なんとなく。強いて言うなら大勢で一人をやるってのが嫌いだから、かね」
「それだけで、戦場の渦中に斬りこんできたのか?」
こともなげに言う九郎に開いた口が塞がらない。
「昔、あんたと同じ様な目に会ったとき、そんな阿呆に助けられたんだよ。そっからだ俺がこんなんになっちまったの。おい、そんな信じられんもん見た顔すんなって」
苦笑いする九郎に小鷹は慌てて口を引き締めた。
「す、すまん。そうだ。改めて礼をせねばならんな。お前はこれからどこかに仕える気か?」
「いや。今は武者修行の旅って奴をしてるからそんな気はないな。もう六年になる」
九郎は顔についた血を手でこすり取った。
その腕にはしっかりと筋肉がついている。
小鷹よりも小柄だが、鍛えているだろうことが分かる腕だ。
「剣術家だったのか」
「ま、訳ありでね」
九郎は肩をすくめた。
「ところであんたに頼みたい事があんだ。それがお礼で良いよ」
「何でも言ってくれ。尽力しよう」
「できるできる。あんたに稽古つけてほしいんだ」
「俺にか? お前に必要あるのか」
「ああ、強くなりたいんだ。もっと」
九郎は強く言った。じっと見定めるように小鷹を見る。
居心地が悪くなるほどその瞳にこもる熱量は熱い。
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「べ、別に構わないが、俺は帰陣せねばならん。お前も一緒に来てもらうことになるがよいか」
「本陣ってどこだ?」
「大月だ」
「ああ、そんなら今から歩きゃ明後日にゃ着くな。じゃあ、本陣にあんたが帰るまでついてく。それまででいい」
橙色に染まり始めた空を見て九郎は言った。
いつのまにか風が出てきたらしい。
血のむうっとした臭いが、ささやかに吹く風に細々と流されていく。
少しずつ呼吸ができるようになっていく気がした。
「いや、だが、きちんとした礼を。父上にも紹介しなければな」
「ああよせよせ、よしてくれ、そんな大仰にすんなって。俺ぁそんな大した奴じゃないんだ。ちょっと見てもらえりゃそれでいい」
「そんなに適当でいいのか?」
「適当なんかじゃないぜ。お前、何でも言ってくれって言ったろ、忘れたのか」
「い、や、こんなすぐに忘れるわけなかろう」
小鷹は言葉に詰まった。
どうにもこの男はやりづらい。
その言葉を聞いた途端、男は悪戯が成功したように笑った。
「じゃ、決まりな。今日野営するときにでも見てくれ」
到底、小鷹より年上には見えなかった。
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*この小説はフィクションです。実在する地域の地名や伝承を使用していますが、登場する人物・団体・出来事などは架空の物であり、実在するものとは関係ありません。
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筆者:藤田侑希
イメージ写真:井口春海、矢野加奈子