山形に出羽三山というものがある。月山、羽黒山、湯殿山の3つで出羽三山は構成され、古くから信仰の対象となっていた。それぞれの山に神社などがあり、古くから山伏が修行の場としてきた。
そんな出羽三山に登ってみたいと思う。修行の場となるので大変な道だとは思うけれど、己の足で登ってみたい。キツいだろうけれど、それがまたいいのだ、きっと。石段がすごいらしいけど。
羽黒山に行く
憧れというものがある。それは誰にでもあるだろう。たとえば、いつかミコノス島に住みたいだとか、ギリシャ語を習得したいだとか、それは様々だと思う。私にももちろん憧れがある。
上記の写真の場所は誰もが知っている、セブンイレブン羽黒押口店の駐車場からの景色だ。自分で書いといてあれだけど、誰もが知る場所なのかわからない。私は知らなかった。初めて来たし。特に特徴的な景色でもない。
ご存知、山形にある「出羽三山」は月山、羽黒山、湯殿山の3つの山で構成されている。1400年前に崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が開山した。羽黒山は現世の幸せを祈る山、月山は死後の安楽と往生を祈る山、湯殿山は生まれ変わりを祈る山と「つるおか観光ナビ」に書いてあった。
私が現世至上主義の下で生きている。過去ではない、未来ではない、今を幸せになりたい派なのだ。ということで、羽黒山に登ることにした。全部登れば、と思うかもしれないけれど、それは疲れて幸せではないので羽黒山だけを登る。
石段2446段
羽黒山には石段が整備されている。整備されていると言っても、江戸時代にできたもので13年という時間をかけて完成したものだそうだ。わかりやすく言うと0歳児が13歳児になった時に石段は完成したのだ。馬鹿みたいな説明だ。たぶん13歳に「児」はつかない。
随神門から10分くらいの場所に「羽黒山五重塔」が目に映る。現在のものは約600年前に再建されたものと伝わっている。やはり五重塔を見て思うのは、五重だな、ということだ。四重ではない、六重でもない、五重なのだ。美しい。
ここからである。ここからが羽黒山のハイライトということになる。そのハイライトは異常に長い。つまり石段をひたすら登るということだ。まず滑る。サンダルとかは無理だ。江戸時代に作られて、多くの人が歩いたからだと思う、滑るのだ。
石段は急だ。よく作ったものだと感動する。ただその感動は自分の体力の減りを弱める効果はなく、むしろ感動した分、感情が動いた分、体力が減る。小学生の団体がいたのだけれど、走って登っていく子もいれば、座り込む子もいた。年齢関係なく平等に疲れる人は疲れるようだ。
帰りがけの話になるのだけれど、すれ違った50代くらいのご夫婦が「これ上に登って何があるの?」と私に聞いた。疲れて心が折れかかっているようだ。上の様子を伝え、さらに車でもいけますよ、と答えた。ご夫婦は「よし、車で行こう」と石段を戻って行った。
なぜ羽黒山に来たのか
そもそもなぜ私が羽黒山を登っているのかと言えば、もちろん現世の幸せを祈り倒すのも目的だけれど、憧れもある。出羽三山には山伏がおり、山伏は法螺貝を吹いているイメージがある。
実際に山伏とすれ違うと首から法螺貝をぶら下げていた。吹いているところに出会うことはなかったけれど、法螺貝をぶら下げている。これに憧れる。人類は出羽三山で法螺貝を吹くことに憧れ、昨日を生き、今日を生き、明日を生きるのだ。
そんな憧れを叶えるために私は出羽三山に来て、羽黒山を登っている。問題があるとすれば、私は法螺貝を持っていないことだ。買おうと思ってネットで調べると法螺貝はめちゃくちゃ高かった。憧れだからと言って払える金額ではなかった。
家を探すとリコーダーはあった、ヤマハの。3秒ほど悩んで法螺貝もリコーダーも一緒なんや、という若干関西弁に近い悟りを開き、リコーダーを持って羽黒山を訪れた。ただ今はまだ吹かない。理由は疲れすぎていて、吹く元気がないからだ。
山頂へ到着
1時間ほどだろうか、そのくらいの時間をかけて2446段の石段を登り山頂に到着した。山頂には「三神合祭殿」や「鐘楼」などがある。私が訪れた時は三神合祭殿の茅葺を葺き替えるために足場が組まれていた。
とにかく拝んだ、私の想いが届きますようにと拝んだ。石像になったのではないかと思われるほど拝んだ。ここまで石段で来たのだ。拝んで、拝んで、拝んで、拝んで、拝んで、どうにか頑張ったことを知って欲しい、だから叶えて欲しいと拝んだ。拝んだ。拝んだ。
車でも来られることは知っていたけれど、バスでも来られることを知っていたけれど、自分の足でここまで来たのだ。帰りはバスにしようと思っていた。ただ、いい時間がなくて結局帰りも自分の足ということになった。
いよいよリコーダー
法螺貝と書いてリコーダーと読んだらどうだろうか。そのようなことを帰りの石段を歩きながら思った。どこで吹こうか考えたけれど、神聖な場所で楽譜も読めない私がリコーダーを吹くのはあれなので、結局、下山してから吹くことにした。どこだって、気持ち的には出羽三山なのだ。
音色は空気を震わせ、山に染み込み、空に吸い込まれた。素晴らしい音色だったのではないだろうか。かなり控えめな音だった。音楽の授業ならば先生に聞こえないと言われたと思う。
羽黒山を登って降りてで息が上がっていて、とてもじゃないけど力強く吹くことはできなかった。蝶々の触覚を軽く揺らす程度の音も出ていないかもしれない。周りで鳴いている蝉の声の方があきらかに大きい。キツいのだ。
登ってよかったのは間違いない。疲れてはいるけれど、素晴らしいことをしたという感想を抱くことはできる。なし得た感じがするのだ。実際に、リコーダーを吹いたのでなし得てはいるのだけれど。憧れが実現した瞬間だ。本来はリコーダーではなく法螺貝なんだけどね。
現世の幸せを掴むのだ
素晴らしい汗と素晴らしい音色に満ちた出羽三山の羽黒山だった。確かに暑いのだけれど、木々がびっしりと生い茂り、石段には全力で降り注ぐ太陽光は直接はやってこない。それがいいのだろう、心地よく感じる。ただ疲れないかと言えば疲れる。だって2446段だぜ。でも幸せになれる気がした。というか、幸せにしてください!