元旦である。2017年最初の日だ。ということで、皆様、あけましておめでとうございます。おせちを食べたでしょうか? 初詣には行かれたでしょうか? 初日の出を見たでしょうか?
初日の出。新年最初の日の出をこぞって人は見ようとする。でも、朝早くて起きれないのだ。そこで「初日の入り」である。人は初日の入りを意識しないけれど、元旦の夕日は「初日の入り」なのだ。見なければなのだ。
初日の入りの魅了
本日、2017年最初の日を迎えた。今年はどんな年になるのだろうか。一年の計は元旦にあり、と言われるほど大切な日だ。そのためだろう、多くの人が早起きして「初日の出」を見る。毎日昇る太陽も元旦の今日だけは特別なのだ。
ただ太陽だって最初だけを注目されてはかわいそうだ。舞台を見に行き終演すると大きな拍手で会場は包まれる。最初も大切だけれど、最後もまた大切なのだ。演者としてはその拍手こそが最高なのでないだろうか。
そこで初日の入りである。初日の出だけではなく、最初の日の最後の太陽の勇姿を見届けるのだ。なにより「初日の入り」は朝早く起きなくても見ることができる。朝が苦手な私にとっては最高なのだ。太陽の勇姿とかいろいろ書いたけれど、朝が苦手なだけなのだ。
世界三大夕日
朝5時に起きて羽田空港に行き、飛行機に乗り、北海道は釧路にやってきた。朝5時に起きることができるなら「初日の出」を見ることができただろ、と思うけれど、飛行機のチケットが早朝の方が安かったから仕方ないのだ。全ては「初日の入り」のためだ。
なぜ「初日の入り」を見るのが釧路なのか。それは釧路が「世界三大夕日」の一つだからだ。インドネシア・バリ島、フィリピン・マニラ、そして日本・釧路が世界三大夕日の地なのだ。最高の「初日の入り」を見ることができる街なのだ。
本日、元旦の釧路は最低気温「マイナス15度」、最高気温が「0度」という、素晴らしい寒さとなっていた。釧路に着いた瞬間に東京とは全く異なった。ピリっとしているというか、噛み付いてくる感じなのだ。とにかく寒いのだ。
流れがある川が凍る温度、それがマイナス15度なのだ。生まれたての子鹿が立とうとする時よりもプルプルと震える。最高が0度で、最低がマイナス。もはや違いはない。寒すぎるのである。ただわざわざ来た釧路。初日の入りまでの時間を楽しもうではないか。
釧路はかつて石炭やパルプの町として栄えたけれど、現在は水産業が盛んで、なかでもサンマに力を入れている。「サンマといえば釧路」と言われるほどだ。ぜひ食べたいではないか。サンマに限らず、どんな魚も釧路なら美味しいに決まっているのだ。
今日は1月1日。お店がだいたい休みなのだ。開いてないのだ。食べたくて食べられないのだ。サンマに限らない。どんな魚も食べることはできない。だって休みなんだもん。全然お店が開いてない。初日の入りを楽しむくらいしかないのだ。
最初の日の入り
釧路を彷徨い歩き、ついに「初日の入り」の時間になった。釧路の中でも「幣舞橋(ぬさまいばし)」や、「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」あたりが美しい夕日を見るのに適しているそうだ。
太陽が沈んでいく。2017年1月1日の日の入り。初日の入りである。空がオレンジのクラデーションとなり美しい。これが初日の入りの力だ。心が洗われる気がする。この一年を頑張ろうと思う。そんな気になるのだ。
書き初め
元旦、初日の入り、というめでたさが、私を法被姿にした。背中には「祭」と書かれている。めでたさがアップしたのではないだろうか。全てがめでたいのだ。元旦で一番めでたいと言ってもいいかもしれない。
ただもちろん寒いのである。現在「マイナス5度」。法被で寒くないはずがない。震えが止まらない。生まれたての子鹿の気持ちを理解した。ただめでたいのだ。このめでたさをさらにアップしたい。そこで書き初めである。一年の目標を書き記するのだ。
めでたい、めでたい、と書いているけれど、寒くて「めでたいって何だろう?」という気持ちで胸がいっぱいだった。ただ目標を書いているのだ。一年の計は元旦にあり、きっとこの目標は叶うだろう。
初日に入りを見ながら考えた今年の目標は「トゥルーラヴ」だった。源流大学はこの一年、「トゥルーラヴ」を求めて活動していくのだ。「ラブ」ではなく「ラヴ」というのがポイント。発音もよりネイティヴに、という願いが込められた目標なのだ。
今年もヨロピク
ということで、めでたさを凝縮した記事になったと思う。元旦、初日の入り(しかも世界三大夕日の街で)、法被、祭り、書き初め、トゥルーラヴ(ラブではなくラヴ)。めでたすぎて吐きそうだ。めでたさってなんだ、と思うけれど、めでたいのだ。その結果、いま吐きそうなのだ。人はそれを風邪と呼ぶのかもしれない。