ゆめゆめ忘れる事勿れ 第2話

コラム

平穏な村は突如盗賊達に襲われ炎に包まれた。最強の盗賊「烏丸」に切り捨てられた九郎。なす術もなくこのままこの世から去ってしまうのか。山梨県小菅村を舞台に繰り広げられる地域小説第2話。

第1話はこちら→ゆめゆめ忘れる事勿れ第1話

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第一章 ゆめゆめ忘れる事なかれ 第2話

「うあ!」

九郎は自分の声に全身をびくりと震わすと飛び起きた。
ぽろりと涙がこぼれる。

涙をぬぐいながら慌てて周りを見渡す。辺りが薄ぼんやりと群青色に明るいだけで何も見当たらない。

子供もいない。あの恐ろしい奴もいない。

それどころか、先ほどまで山の中だったはずなのに木々の一本も見当たらない。
ただただ広い空間のようだ。遠くを見ようとすればするほど先には青い闇が蟠っている。

首はちゃんと繋がっている。
不思議なことにどこも痛くはないし頭から血も出ていなかった。

しかし、刀の刃の冷たさが残っているような気がして九郎は何度も首筋をさすった。

『たすけて』って言われた。

けれど、結局あの子供がどうなったのかわからない。
何が、何が起きたんだ?
どうしよう、息ができない、苦しい。

ぎゅっと拳を握って恐慌状態になりかけるのをぎりぎり抑えこみ、九郎は深く呼吸した。
目の前に蟠る深い青色からは不思議に甘い匂いがした。

「ここはどこな……ひい!」

見渡した瞬間、九郎は尻餅をついた。
少しばかり離れたところに人影が立っていた。
粗末な着物を着た十かそこらの少女だ。
青い闇の向こうをじっと見つめている。

身なりは乞食のように見えるほど薄汚いが、よくよく見るとその顔はとても整っている。
横を向いているのが惜しかった。

「女の子?」

九郎は立ち上がり、少女の傍に寄っていった。
まだ少し怖かったが、人がいて安心したのも確かだ。

「ええと、どこの子だ? というかここがどこだか知ってるか? それともう一人子供いなかった?」

「うるさい」

見た目とは違って、低く艶のある声をしていた。

「え」

「うるさいって言った」

「いやいや待ってくれよ、おれ、小菅に帰りたいんだ。ここがどこかも分からなくて困ってる。小菅にこんなところあったっけか」

少女は吐き捨てるように溜息をついた。

「死んだの」

「え」

「死んだの、あんたは。ここはそういう場所。わかったらさっさとどっか行って」

「ええ、ど、どういうことだ」

「二回聞かなきゃわかんない頭なら捨てちゃえば?」

「え、だってだっておれ、だって」

「……」

少女は剃刀みたいに鋭い一瞥を九郎に向けると、黙って背を向けた。
ただでさえぎりぎりだった九郎はとうとう限界に達した。

「な、なんでこんな目に会わなくちゃいけないんだ!」

九郎の目尻から涙が膨れ上がって落ちる。

「野盗どもに村は焼かれるし、み、みんな、じいさまたちもおばさんも、き、気の良い奴らだって、こ、こ、殺されてさあ、お、おれ、さんざっぱら逃げたのに結局こんな訳の分かんないとこにいてさあ!」

地団駄を踏みながら叫んだ。

「それもこれも烏丸とかいう頭のおかしい野郎が賊を連れてきたせいだ!」
「烏丸?」
始めて少女がこちらを振り向いた。

「ああ、そうだよ! 丹波山村も西原もみんなあいつらにやられた! 笑いながら女も子供も関係なく殺すんだ! あ、あんなくそったれのせいで! とっとと地獄に落ちやがれ畜生が!」

喚き散らすと九郎は額を膝につけて座り込んだ。
じわじわと涙と鼻水と惨めさが膝小僧に染みていく。

「う、ああ、なにやってんだ、おれ、小さい子に怒鳴って、うう、ぐずって、がきみたいだ。一人で逃げるしかできないし、かといってがきの時から喧嘩に勝ったことも無い戦えないし……あのちびどうなったんだろ……」

「あのちびって何」

しゃがみこんだまま見上げると、椿の花のように整った顔がすぐそばにあった。
あちこち跳ねた長い髪が揺れるたび、どこかで嗅いだことのある甘い匂いがする。

「あ、え、逃げる途中で、会った子供だ」

九郎は頬が熱くなるのを感じながら言った。

じっと少女が続きを促すようにこちらを見つめている。
その瞳は冬の日差しのような奇妙な光を放っている。

「小河内の方へ逃げてた時、森で見つけた。おっかあもおっとうも多分死んでたから、一緒に連れてこうとしたら、烏丸に見つかって。それでおれ……し、死んだ?」

鼻の奥が痛かった。収まっていたはずの涙が滲んでくる。

「死んだ」

少女が一切の容赦なく断言した。
間髪入れずの一刀両断に、九郎は眉を下げてほんの少し笑った。

「うん、わかったよ……。でも、あのちび逃げてたら良いんだけど、あれじゃ恐らく無理だろうし……せめてあのちびだけでも助けたかったなあ……」

「なぜ?」

「あんで? あんでってそりゃあ、普通に」
噛みつく様に少女は遮った。

「逃げるのに邪魔でしょ。現に戦ったりしないで一人で逃げてた」

「だって、おれ弱いし! 子供のころはいじめられる側だったんだぞ! そんなおれがあんな強い賊と戦うなんて絶対無理だ!」

「なのになんでその子だけ、助けたいって思うの」

しん、と青の空間に沈黙が下りた。

「……だって。『たすけて』って言われたから……」

「どういうこと」

「助けてって言葉を聞くとすごく苦しくなる」

九郎は顔を上げた。
ずびと鼻を思いきりすする。

「おれは捨て子だ。山で、小菅のじいちゃんに拾われたんだ。いまだに覚えてる。一人で森の中彷徨ったこと。ひもじくて、暗くて、怖くて、寒くて、助けてってずっと言ってた。だから、助けてって言葉が嫌いだ。胸が苦しくなる。息ができないほど」

永遠と続く緑に、自分の助けてという声が木霊していく。
けれど何も物音がしない。聞こえるのは自分の声と鼓動だけ。
それは頭がおかしくなりそうな恐怖だった。

「だから、『助けて』って言葉を聞くと、何かしたくてたまらなくなる。息が詰まって、体が勝手に動いちまうんだ」

「それは……誰が言っても?」

「うん。でもおれ、頭もよくないし腕っぷしも弱いし、大したことできないんだけどさ。荷物運びとか、子守とか、ちょっとした猟の手伝いとかそんなんばっか」

九郎は自分の手足を眺めた。
お世辞にもいい体格とは言えない。昔からそうだった。その上、泣き虫であるため、いつも他の子供にいじめられてじいちゃんに泣きついていた。だが、それでも。

「……『助けて』って言われたからには、できる限り何でもする」

「うふ、ふ、聞いた、聞いたぞ」

小さな鈴が転がるような笑い声が聞こえた。
思わず少女の方を向くと、面のように変わらなかった少女の唇の端がほんの少しだけ上がっている。

「ならば、戻る?」

少女は言った。

「死ぬ前の時間に」

「へ」

「戻してやってもいい」

少女は視線を横にやりながら、長い髪の先をくるくると人差し指に巻き付けては離している。

「ええ、ほんとにそんなことが」

「戻る? と聞いてる」

至極投げやりな口調の割に、少女の声色は重かった。

「戻る」

気が付けば、九郎はそう言っていた。少しだけ後悔しそうな気もしたが。

「ならゆくがいい」

今度は本当にきゅっと口角を上げて少女が笑った。唇の端をゆがめて。

「自らの言葉、ゆめゆめ忘れる事なかれ」

その声が響いた瞬間、足元に広がる湖の底のような群青が揺らめき、九郎の身体を呑みこんだ。

気が付くと、再び九郎は森の中にいた。

「も、戻った?」

見上げれば、いまだ仄明るい夕空は炎で赤く色づいている。
遠くの方で響く炸裂音。上がる悲鳴と怒号。

「こんなことしてる場合じゃない! はやくあのちび見つけないと、奴が来ちまう……!」

九郎はすぐに走り出した。
今度は転んで足をくじくわけにはいけない。

九郎は足の速さには自信があった。
いじめっこやじいちゃんの説教から逃げ回っていたのは伊達じゃない。
怪我が無かったら逃げ切れるはずだ。

この付近の道はけもの道に入らなければ1本道である。
あっという間に九郎は子供の前に立っていた。

「う、うあああん……、おっかあ、おっとう……うあ、ふっ……うう」

「おい」

「ひいっ」

子供は怯えた様に丸まった。

「話は後だ。逃げるぞ! おぶされ」

目を白黒させている子供の腕をぐいっとつかみ、無理やりおぶさせる。

「え、にい、ちゃ、誰?」

「安心しろ、小菅の人間だ! つかまれ、行くぞ」

「わあっ!」

九郎は子供を負ぶって再び駆け出した。

つづく (次回は11月7日更新です)

*この小説はフィクションです。実在する地域の地名や伝承を使用していますが、登場する人物・団体・出来事などは架空の物であり、実在するものとは関係ありません。
*この小説は隔週木曜日に更新されます。

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筆者:藤田侑希
イメージ写真:井口春海

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